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聖の気鬱、蓉子の想い

 

その日は晴れた空が一面に広がっていた。

見上げれば遠くに、雲の切れ端が数えられそうなくらいに点在しており、

ちょうど頭上では太陽が誇らしげに光り、輝いている。

永久にも近い時間を約束されたものが放つ光り。

煌々と照らす太陽に、聖はふと目をせばめた。

 

自分には何もない。聖はふとそう思う。

明日は多分来る。

明後日も、その次の日も。

しかし一年後、十年後、自分は何をしているだろう。

果たしてそれより前に、存在しているのかどうか。

漠然とした不安だけがあり、未来は雲を掴むように曖昧で、だた今だけを生きている、自分。

そう、だからこそここにいるのだ……と己の身を振り返る。

そこはリリアン。

聖に、過去があり、そうして今があるのだと静かに訴えかけてくる存在。

まぎれもなく、蓉子がいた場所。

 

曖昧な自分を感じ、見えない未来に不安を感じるとき、

聖はいつも蓉子の存在を感じる。

蓉子は聖の灯台ではない。

彼女も何かを抱え、何かに悩んでいる。

しかし聖は蓉子にそれを聞こうとはしなかった。

彼女は聞かずとも、聞いて欲しいときには自分からはなしてくる。

もしくは、聖が聞いても仕方のないことか。

それは聖が知ることではないし、分かる事ではないと思われた。

 

蓉子を待つ間、いつもこんな思索にふける。

答えがあるはずのない思索だ。

聖自身、答えを出そうとしているのではない。

ただ蓉子は、聖の思考を占める割合が気がつけば多い。

真夜中何の前触れもなく突然たまらなく淋しくなって自分を抱きしめるしかないときに、

聖は蓉子を思う。

抱きしめてもらいたいと言うより、誰かを傍に感じていたい感覚。

それがもし叶うなら、蓉子に、と無意識のうちに思うのだ。

誰かに。しかし、誰でもない、誰かに。

聖の中で蓉子は確実にその存在を大きくしていた。

聖自身も預かり知らぬところで。

 

蓉子はいつにもまして、聖の身を案じていた。

聖は卒業以来、自由になったように見える。

だが本当はそうではないような気がした。

聖の心はふわりとして、とらえどころがない。と同時に、誰にも捕まらない。

それが聖の一番の魅力であり、蓉子が目の離せないところであり、心配の種でもあった。

大学生は時間が自由だ。

特に聖は、学業をしたくて進学したわけではないから、時間はかなり余っている。

自分がいなくては駄目だとは到底思えない。

だが、ほうっておくわけにはいかない。

気がつけばいつも聖を思っている。

思わずつられてしまう子供のような笑み。時にはっとさせられる、大人びた表情。

それら全てを間近で見てきた蓉子は、聖から目を離すことが出来ない。

守りたいとも違う、だが守られたいわけでもない。

出来うる限り聖の傍にいたいと思うときもある。

そばにいて、聖の表情が寂しさで覆われる事のないように、

その美しい顔が悲しみで歪むなら、肩を抱いて大丈夫よと言ってあげたい。

あなたは一人じゃない、私がいる、誰があなたを責めても、大丈夫―――と。

聖は迷惑がるかもしれないが。

いつものように笑って、そんなことしなくったって心配ないよと、蓉子は苦労人だなあと。

自分の思い過ごしならそれにこした事はないのよ、と蓉子はその時笑うだろう。

あなたが辛い思いを、寂しい思いをせずにすむなら、それでいいの。

蓉子はおそらく世界で一番聖を思っている。

しかし同時に自分が思うほどには聖は他人を思うことはないだろうと感じていた。

蓉子は自分が思われていると思えるほど、これまでのことに関して、無知ではなかったのだから。

 

聖の目の前で蓉子の乗った電車が大きな音を立てて止まった。

空気の抜けるような音が小さく響くと、抑圧されたものが噴出すように人々が出てくる。

何を考えているのか分からない、無表情でもない、不思議な表情で。

そう言えばエレベーターの中って変な沈黙があるな、と聖はぼんやり考える。

 

まるで嫌がってむずがる子供のように、蓉子の乗る電車は大きな悲鳴を上げて止まった。

すぐには勢いが止まらず、乗客は皆一様に進行方向にその身を取られる。

動く隙間もないほど人がつまった電車はとても静かだった。

ただ思念だけが辺りを渦巻く。

そう言えばエレベーターの中って変な雰囲気よね、と蓉子はぼんやり考える。

 

「お疲れ、蓉子」

「聖も。今週はちゃんと講義に出たんでしょうね?」

「当たり前じゃない。私は真面目なんだよ?」

「”佐藤さん”、嘘が顔に出てるわよ」

「おや、おかしいな。目は口ほどにものを言うって奴だね」

「留年しても知らないわよ」

聖はあはは、ときわめて明るく笑った。

蓉子があまりにいつものように真面目だったから。

「そうなったら蓉子が卒業するときまで学生でいようかな」

蓉子は一瞬どきりとして思考停止しかけたが、何事もなかったように振舞う。

ほんの少しだけ、ウレシイ。

「冗談言わないでよ」

蓉子がそういうと、聖がまた、あはは、と笑った。

二人は並んで人ごみを歩く。

 

その日もいつものように、二人で何となく街を歩き、取り留めのない話をし、

お互いの存在を無意識に確認するように、笑いあった。

視線を交わす事はあまりなかった。

手をつなぐ事もなかった。

ためらうように手が触れ、離れる。

お互いどちらが何をためらうのか、分からないでいた。

二人ともだったのかもしれない。

 

満員電車の中で、二人は話す事もせず黙って流れ行く景色を見ていた。

電車がレールの継ぎ目を越える時の規則正しいリズムが、二人を包む。

何となくどんな表情をしているだろう――とお互い同時に思い、ふと目をやった。

誰かに背中をそっと押されれば唇が触れるような距離で、目が合った。

「あ」

聖は蓉子のひとみを。

蓉子は聖のひとみを。

聖は見つめたまま、蓉子の手をそっと握った。

蓉子も、何事もないかのように、手を握り返した。

キスしたい、と本気で思った。

 

それはどちらの気持ちだったのだろう。

 

…………。

 

離れるとき、聖が蓉子の耳元でそっと呟いた。

「さっきの、冗談じゃないよ」

蓉子は微笑を返しただけだった。

 

『僕達は何処へ行くのだろう

 時間も距離も何もかもが高速で過ぎ去るこの街で

 君だけを見つめて生きていけないこの街で

 僕達は何を目指して歩くのだろう

 時に空を見上げる

 そこにかならずあるから

それだけは分かっているから

 

 君とこれから先も歩いていけたらいい

 僕が願うのは十年後の自分じゃなく だた それだけ』

 

 

おわり 


後書き。

久し振りに書いてみました。

最近自分の将来があまりに漠然なので、ホントに。

悩んだって仕方ない。

最新刊を読んでそう思ったもんで。

渡る世間は鬼ばかりみたいじゃないですか?

そんなことない?

失礼しました(^^;

感想叱咤激励ご意見等もらえると非常に喜びますので、よろしければ、お願いします。

それではまた。

 

 

20020619 神月

 

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